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気付きと変化
 障碍者の方と一緒に農作業をする活動を通じて気付いたことが2点ある。それは日常で、いかに障碍者の方と接する機会がないか、と今まで自分が持っていた障碍者の方に対する保護目線のことである。私自身、障碍者に対してまだ充分な知識も経験もなく、また時にその一言で人を傷つけてしまう可能性のある繊細なテーマをこのような公の場で記事を発信するには勇気がいる。しかし、そう思っているのはきっと自分だけではないだろうし、自分が今後、障碍者の方々と関わっていく上で考える機会を得られたと思い、言葉にしたいと思う。
 「障碍を持つ方々の雇用機会を増やすために、農家さんのもとで働き、障碍者の方々の成果が認めてもらえる場を提供する事業を西東京農地保全協会(unicocoが事務局)でやっています。」と代表から伺ったとき素敵だと思うと同時に、自分とは縁の遠い、難しそうなことだと思った。なぜなら、障碍者の方々と日常で接する機会が少なく、それまでの私の生活で一緒に何かを行動することが想像できなかったからである。実際、一緒に農作業を行った初日どう接していけば良いのか全く分からず、ほとんど話すことが出来なかった。
一番最近で障碍者の方々に接したのはいつだったろう?おそらく小学生の時かもしれない。私の小学校には特別支援学級が存在し、授業は分けられているものの、運動会や学芸会などの行事や中休みを共にする機会は多々あった。そのときは「障がいがある」ということは特に意識せずに、ただ遊びたいように遊んでいたように思う。しかし中学、高校、大学と障碍者の方と接する機会は格段に減った。街中で出会っても、何かしてあげたいと言う気持ちだけが先行し(当時、持っていた保護目線の現われであるが)、結局何をすれば良いのか分からず見て見ぬ振りをしてしまった。
 日常的に障碍者の方に関わる機会が少ないことが表すように(就労場所が限られていたり)、社会にはまだ障碍に対する特別な視線が残っている。子どもの頃からそういった障碍に対する違和感を社会の風潮に感じていれば、大人になるにつれ、それは距離感となって表れるだろう。
 次に私が今まで持っていた保護の目線である。これは本人以外の第三者の意思が大きく反映してしまい障碍者本人の主体性が失われる危険がある。その目線を持って障碍者の方に接すると障碍者が求めないこと(自分で出来ること)までやってしまうと思う。それは障碍者の就労にしても同じことが言えそうである。失敗して自信をなくさないように、本人がしたいものよりも、なるべく簡単で確実な作業を割り当てるようになるからだ。
 農園で一緒に作業していると、はじめは慣れない作業で確かにたどたどしいが、徐々にスピードが速くなる。そして何より、丁寧で最後まで手を抜かない。また、農作業後に人なつこい笑顔で緊張している私に話しかけてくれた。特別に意識することはないのだ、と気付いた。
 障碍者の方が何を必要としているのか?どうしたら暮らしやすく、自立した生活を送れるのか?色々考えたがふと自分の生活を振り返り、自分も自立した生活など到底出来ていないことに気がついた。「人間誰しも一人では生きていけない。」よく耳にするこの言葉を初めて実感した様な気がする。障がいがあろうがなかろうが人は支えを必要とする。「障害があるということが理由も説明もない社会」というような障碍の有無の関係ない、みんなが支え合えれば良いと思う。

(インターン生:北島)

 
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